春に舞う桜の花が、二つの想いを結びつける
著者:月夜見幾望


 彩桜学園───。
 日本の八王子市内にある、それなりの歴史と伝統を誇る学園である。中・高のみならず、大学・大学院をも包容する学園は、日本でも有数の広大な敷地面積と、膨大な数の生徒が通うマンモス校として知られている。
 やや年季の入った校舎群と、その合間を縫うように作られた渡り廊下。荘厳に聳える立派な講堂に、和洋折衷の凝った趣向が成された学生寮。広い校庭は、複数の競技が同時に行えるように、第一グラウンド、第二グラウンド……というふうに、区画が整備されている。
 それらは、防音効果を兼ね備えた林に囲まれており、決して人工的といった雰囲気は感じられない。むしろ、自然との調和を目指した学園は、敷地面積全体でみれば、森林や池などがその大部分を占め、東京都内でも住宅地が多いことで知られる八王子市の中でも異色の空気を放っていた。

 八王子の特異点。ベッドタウンのオアシス。

 街に暮らす住人たちは、時に彩桜学園のことをそう呼ぶ。
 実際に学園に通う生徒たちの間では、魔窟、亜空間、理想郷など、様々な呼称で呼ばれているが、最も興味深いのは、学園のあちこちで囁かれる怪談話である。
 彩桜学園に限らず、長い歴史を持つ学校には、何かしらの怪談や噂(俗に言う、『学校の七不思議』というやつだ)があるものだが、前述の通り、普通の学校とは空気が異なる彩桜学園では、怪談の質も違っていた。
 いくつか例を挙げると───

 ・高等部の校舎には『開かずの扉』が存在する。
 ・六月六日には、死者の魂が蘇り学園を闊歩する。
 ・学園内に散らばった鎖の欠片を集めし時、黄泉への扉が開かれる。
 ・林の最も奥にある池では、水面に己の願望が映し出される。
 ・彩桜学園第一講堂では、とある一日のみ時間の流れが外界と切り離される。
 ・第二グラウンドのある座標では、午前二時に『迷いの螺旋』に吸い込まれる。
 ・彩桜学園には念(おも)いを現実(カタチ)にする結界が張られている。

 などなど、オカルトや魔術がらみのものが大部分を占めている。
 そのためか、学園内では昔から、オカルト研究部や、ミステリ同好会など、真相の解明に乗り出す組織が数多く作られ、今でもその風習は続いている。なお、現在では前身の大きな組織から派生して作られた探偵部や、一部の非公認サークルなども活動に加わることがあるが、それらの怪談にはどうにも不可解な点が多く、また怪談同士の共通点もこれといって存在しないため、今なお、彼らの頭を悩まし続けている。
 一部の生徒の間では、『実際に魔法か何かを使ったとしか思えない』という意見まで交わされているほどだ。

 とにもかくにも、噂というものは、その伝達過程において改変されたり、余計な情報が付加されがちである。元々は数えるほどしかなかった怪談も、今では膨大な数に膨れ上がり、そのすべてを把握するのは不可能だろう。
 情報を集める側である彩桜学園調査隊や新聞部、それらの情報をもとに発想を膨らませたり、解答(かたち)に合うように整理する側のオカルト研究部や探偵部───この広い、異色の空気を纏う学園では、今日も様々な“謎”が飛び交っている……。





  1


 彩桜学園高等部二年校舎棟裏───。
 長かった冬も終わりを告げ、温かく心地よい春風が学園内に吹いている。

 今日は四月一日。
 多くの生徒たちはまだ春休みを満喫しており、朝から運動部が使用している第一グラウンド以外、学園は静寂に包まれている。
 時折響く、小鳥のさえずりと、もうすぐ見頃を迎える桜の鮮やかな色彩。樹木の隙間を抜けて漏れてくる光の粒は、風で葉が揺れる度に、きらきらと輝き、地面に光の紋様を描いている。
 僕と瑠璃はその幻想的な景色の中、お互いを見つめ合っていた。
 絹のような艶やかな黒髪。春の妖精を喚起させる白い肌と、切れ長の瞳。その奥に湛えた優しい光が、まっすぐ僕を映している。
 淑女然とした、清楚な少女。彼女に見つめられるだけで、僕の心拍数は極限まで跳ね上がった。
 ばくばくばくばく……と、早鐘のように鳴り響くそれを鎮める手段を僕は知らない。だって、“こんな経験”初めてだから。
 瑠璃は、頬を染めて恥ずかしそうに、でもまっすぐ僕を見つめて言った。

「私……桔梗お兄ちゃんのことが大好きなの。あの時───私を“奴ら”から助け出すために体を抱きしめてくれたあの時から、私の中で桔梗お兄ちゃんの存在がとても大きくなって、胸が満たされるようで……自分でも今まで抱いたことのない感情に、ひどく戸惑った……。でも、それは同時に私の暗い過去を優しく溶かしてくれるような、すごく温かくて、心地の良いものだった……」

 胸の奥から湧き上がってくる『誰かを想う』感情。それは、妹を想うものとは違う、そして友達を想うものとも違う、新しい気持ち───。

「そして、ようやく気付いたの……。これが“恋”なんだって……」

 嘘偽りのない、本心からの告白。それは言葉に出そうと思ってもなかなかできないものだろう。
 もし断られたら? 相手が自分のことを好きじゃなかったら?
 そんなマイナスの感情が作り上げる大きな壁。それを乗り越えて一歩踏み出せるかどうか、自分の抱いている気持ちが本当なのか試されるのは、まさにそこなのだ。そして、瑠璃は勇気を持って壁を乗り越えた。
 『僕のことが好き』という、その感情が『本物』だと、彼女は示してくれた。
 その彼女の気持ちに対する答え。それは僕の中ですでに決まっていた。

 ───僕も、瑠璃のことが好きだ。

 ……でも、こういう時って、どういうふうに返せばいいのだろう……。素直に『僕も瑠璃のことが好きだよ』って言えばいいのだろうか。いや、無難(?)ではあるような気はするけど、何というか……それじゃあ駄目なのでは、という意見が心の中で激しい戦いを繰り広げていた。
 そう、これは戦争なんだ! 僕の『男』としての何かが試される試練なんだ!


 
 ※この時点で桔梗の思考が、だんだんおかしな方向へ向かいつつあるが、不幸にも軌道修正してくれる親切な人は周りにいない。彼の思考は、地雷がたくさん埋められた荒れ地を彷徨うかの如く、迷走していた。


 
 ああ、失敗したっ!! こんなことになるなら、家でちゃんとシミュレーションしておくべきだった!! 大体、今までの人生の中で恋愛要素の欠片もなかった僕に、いきなりこんな最高峰のハードルを用意されても、それこそ命綱をつけ忘れてバンジージャンプするようなものじゃないか!! どう転んでも無理に決まってるって!!
 ……いや、落ち着け。そう簡単に決めつけるのは良くないぞ、うん。大丈夫。真剣に考えれば、僕にだって、一端の『男』であることを証明できるはずなんだ。
 さあ、よく考えろ。正しい解答を。
 ……。
 …………。
 ………………。
 ……うぅ、何も浮かんでこない。
 少し気が進まないけど、ここは人生経験豊富な“彼ら”に頼るしか残された道はない……。
 僕は、しぶしぶ思考を中断して、12人の脳内陪審員たちを召喚する。

『なんだ、また君かね』『無知の少年に教えるべきことなど何もないのだが?』
「そんな! 見捨てないでください! 僕の未来が懸かっているんです!」
『ふむ……。その取り乱し様は、さては恋愛ごとだな、少年よ』

 僕は、がくがくと激しく頷く。そして、事の経緯を三十秒ダイジェストで説明した。

『なるほど……。本来はわしらに頼ることなく、お主自身が考えた言葉で返答するのが一番なんじゃが……お主のその顔と空っぽの頭じゃ、正解に辿り着くのは無理じゃろうな』

 顔は関係ないでしょう!! そう突っ込もうとしたが、ぐっとこらえて我慢する。とにかく今は、藁にもすがる思いなんだ。

「どうすればいいのでしょう……」
『ふむ。まあ、こうしてわしらを頼ってくれたのだし、お主には特別に最高の口説き文句を教えてしんぜよう』
「ほ、ほんとですか!?」
『ただし! この言葉は使い道を誤れば棘にもなる、云わば“諸刃の剣”じゃ。恋愛上級者でも時に失敗するほどの危険な賭け。お互いの想いが強く惹かれ合っていなければ、成功するのは難しい。それでも使うかどうかの最終的な判断はお主自身が決めることじゃ。───して、その言葉とは……』
「その言葉とは……」

 僕は、ごくり、と唾を飲み込む。


『───君は気絶するほど美しい!!』


 その瞬間、僕の全身に衝撃が走った。
 な、なんて際どい一言なんだっ! これを口にするには相当の度胸が試されるに違いない。まさに、今の試練に相応しい解答だ。

『では、さらばだ少年よ。わしは君の恋が成功することを心から祈っているよ』

 そう言って、広く、たくましい背中は去って行った。
 ありがとうございます、師匠……。



 ※この時点で彼の思考は、540度くらい間違った方向に突っ走っているが、不幸にも軌道修正してくれる親切な人は周りにいない。いや、正確には、もはや軌道修正できないくらい手遅れの状態にあった。



 僕は大きく深呼吸して瑠璃に向き直る。そして、余計な雑念がまた邪魔をする前に、

「───君は気絶するほど美しい!!」

 一息に言い切った。








「はい、カ──ット!」








 途端、林の向こうから鋭い声が飛んでくる。そちらに視線を移すと、インディアンレッドの眼鏡をかけた女生徒が、険しい目付きをしながら、ずんずん大股で僕たちのほうへ歩み寄って来る。

「信っじらんない!! 桔梗、あんた一体どういう思考回路してんの!?」
「……いや、茜。これには深〜い事情があってね。だからその……怒る前に言い訳を……」
「言い訳は無用よ!! ですよね、紫苑先輩?」

 茜が振り返った先には、僕より15pくらいは背が低いだろう、小柄な少女がいた。両手を腰に当てて、憐れむような目で僕を見上げている。

「うむ。キキョウはとりあえず切腹して、一度最初から人生をやり直したほうがよかろう」
「そんな! 紫苑先輩まで、ひどいっ!! これでも一生懸命考えて……」

 その時、今まで笑いを堪えていた紺青さんが、ついにその沸点を越えたようで、いきなり大爆笑し出した。

「あはははははは!!『君は気絶するほど美しい!!』って!! うふふ! ひぃ〜笑い死ぬ!! きゃはははははは!!」

 笑いのパターン何通りあるんだよ!!って突っ込む元気は僕にはもう残されていなかった。みんなから、なにか可哀想な子を見るような視線が容赦なく浴びせられる。
 うぅ……惨めだ……。
 そんな中、東雲さんは瑠璃に近づき、『瑠璃ちゃん、すっごく演技上手かったよ!』と褒めていた。最後に、ビデオカメラを回していた青磁が、打ちひしがれた僕の肩にそっと手を置く。

「桔梗……お前に“主役”は無理だ」


 ───その背後に大きな夕陽は沈まない。






 さて、少し状況を説明しておこう。
 僕たち文学部は、四月の中旬に予定されている新入生歓迎会で発表するビデオを制作している最中だ。各部活や同好会は、それぞれの活動内容や実績などを5分くらいの簡単な動画にまとめ、体育館の巨大スクリーンを使って紹介する。
 もちろん、ビデオは必ず作らないといけない訳ではなく、文章だけの説明でもいいし、ビデオ制作に時間を割けない運動部などは、放送部・映画同好会(プロ)に制作を依頼することもある。
 文学部は代々、新歓用の部誌(『COSMOS』)を発行することで、活動内容をアピールしてきた。それがどうして、このような演劇紛いな真似をする羽目になったのか。それを語るには少しばかり時間を戻さなければならない───。



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